ヨガインストラクターの形態、フリー、兼業、ママインストラクターの長所と短所
こんにちは。Noriです。
今日はヨガインストラクターを目指している方に、または今ヨガを教えているけれど、自分の立ち位置に迷われている方に向けて記したいと思います。
ヨガのインストラクターになるうえでも、形態があります。
○専業フリーヨガインストラクター
○兼業ヨガインストラクター
○ママヨガインストラクター
大まかに分けるとこの3種類かと思います。細かく分けると、どこかの団体に属するとか、スタッフ業務兼インストラクターをするとかありますが。
私の経験から私の主観でお話させていただきます。
私はこの3つの形態をすべて経験しています(だてに長くやっていないでしょ!?)
それぞれの長所と短所に分けて述べていきます。
○専業フリーヨガインストラクター
これはどこにも属さずに(いわゆる事務所がないみたいな)フリーランスで自力で仕事を見つけ、オーディションなどをして仕事をいただく。
自分で自分を売り込んでいきます。
長所
・大好きなヨガだけできます。
・ヨガに集中できます。
・クラス数はたくさん持てます(受かればの話ですが)
・上達も早いかもしれません。
・スキルを磨いたり。経験を踏む機会が増えます。
短所
・収入面が不安定。
・けがや病気をすると一気に収入がなくなると同時に仕事もなくなる可能性があります。
・ヨガだけできますが、やりすぎて訳わからなくなる。
・TTに行く時間がない。
・休みが取れない。
・安定しない。
・保険や年金などはすべて自分で行う。
・確定申告などもすべて自分で行う。
○兼業ヨガインストラクター
これはある一定の定職があり、またはアルバイトを掛け持ちしつつ、休日や夜にヨガインストラクターとしてクラスを担当する。
自分で自分を売り込んでヨガクラスを見つけることは同じです。
長所
・金銭的には食べるのに困るまでは行かない。
・定職で社会的な経験もしつつヨガの勉強ができる。
・TTに行くときもある程度蓄えがあるので、時間が合えば行くことができる。
・収入面は安定的である。
短所
・大好きなヨガ以外の業務、雑務が多い。
・ヨガに集中したいのに出来ない。
・休みを削ってヨガクラスを担当するので休みがない。
・TTに行くときはヨガクラスを代講を出すか、定職を休まないといけない。
○ママヨガインストラクター
結婚をして旦那さんがおり、小さいお子さんがいると仮定します。仕事を見つけるときは上二つと同じく自分で自分を売り込んでいきます。
長所
・収入面は安定(旦那様に給与がある)
・あくせくヨガクラスを持たなくても済む。
・TTは時間が合えば行ける。
短所
・クラスを担当する時間は限られる。
・子供が高熱を出していても、ヨガクラスを休めない。
・ヨガに集中したいのにしづらい。
・自分の時間はほぼないまたは少ない。
・子持ちというだけで書類選考でオーディションに落とされることもある。
大まかに述べましたが、もしかしたらこれ以外にもあるかもしれませんが、あくまで私の経験での話ですからご了承くださいませ。
私はこの3つの形態のヨガインストラクターを全てやってきました。
学生のころに短大生(18歳)、ふと見たヨガスタジオの看板を見たのがきっかけでヨガを始める。
東京の新宿にあるヨガ専門のスタジオでした。参加者はおじいさん、おばあさんが多かったです。
そこで、最初は生徒として参加していましたが(もちろんヨガマットなどなく絨毯にバスタオルね)
先生から弟子入り制度があり、素質があると勧められ、迷ったが参加させていただく。短大生の時に特別に弟子入り。
他のお弟子さんは朝から夜まで弟子入り、私のほかに10名ほどいました。私と当時私より5歳くらい上のまりこさんは定職があるということで土日と夜中心に。
結構風当たりが私とまりこさんだけ強かったです。ずるいみたいなね。他のお弟子さんは一日中奉仕作業ですから。一緒にご飯を作り一緒に食べ、掃除しまくる、クラスは担当したりアップだけやったり先生のアシスタントに入ったりいろいろでした。学びながら覚える感じです。マニュアルもなしもちろん教科書もない、習うより慣れろってやつです。
そして、私も短大を卒業し普通に企業に就職。
経理部の予算課という毎日、数字計算数字計算数字計算+お茶くみお茶くみお茶くみの繰り返し作業。
ただ単に珠算と暗算の資格があったがために、こんな数字しか見ない部署に配属されてしまった。
この時の私のやる気のなさといったら、もうやばいですよ。
今の私だったらもっとしっかりと進んで仕事をしたと思うけど、20歳やそこいらの私はアホで世間知らずで、言われたことしかやらない全く持って使えないOLだったと思います。
でも、そのころはバブルがはじけた直後でまだまだ私たち女子大生は売り手市場だったので、私みたいに使えない奴でも雇っていただけたのだと今となっては思います。
やる気のなさに加え、休みが不定期で土日は勤務、しょっちゅう出張があり、北は北海道、南は小倉まで毎週末飛んでいた。大阪や京都、新潟、福島にもよく行きました。
それまで、続けて弟子入りしていたヨガスタジオへも、疲れているとか忙しいとか、行っても他の弟子のお姉さま方からの風当たりが強く、だんだん遠のいて行った。
+彼氏ができたのを先生にののしられたことが一番の原因だったかもしれない。
就職してから3年という月日が過ぎた。
その頃の私は(19歳から22歳)きっと空っぽだったのだろう。
やりたくもない仕事しているだけだと思っていた。
今考えるとそんなやる気のない私を遣ってくれ、給料をくれた会社や社長には顔向けできないくらい感謝の気持ちでいっぱいですし、
結婚式にも参加してくれた部長、課長、次長、係長、同僚などには感謝の気持ちでいっぱいです。
務めた会社は、3年して辞めた。寿退社で。
都内勤務だった私(神谷町)、主人が埼玉県羽生市で主人の両親と同居する道を選んだ。(正直言うと、仕事をやめたかったので好都合だった)
その頃、主人はある会社に勤めていて、主人の父母が人を使って自営業をしていた。
家にいるのは私一人、そんな時、近所の方から
「紀子さん、ヨガができるんですってね、お義母さんから聞いたわよ。教えてくれないかしら」と声をかけてくれる方がいた。
もちろん喜んで引き受けた。弟子入りしていたころにある程度教えられるスキルは身についていた。
だが、ここで義理母からストップが入る。
弟子入りして教えられるとはいえ特にその当時はアライアンスなどなく資格というもの持っていなかった。
何かあったら大変だから、形だけでもいいから資格を取ってから教えてちょうだいと言われる。
出鼻をくじかれる感があったが義理母のいう事はもっともであり、さっそく、ヨガインストラクターの指導者養成コースを探す。
当時は、数少ない指導者養成コースの中、目黒にあるのを見つけ、短期集中コースで一気に通いました。
結局、羽生から目黒まで通うことに。会社に行けてたな〜。と神谷町駅を通り過ぎる(爆)
ある程度の基礎があった私は
晴れて指導者養成コース修了という賞状みたいのをいただく。
で、すぐにヨガクラスを行った、今でも忘れない。
近所の方々10名程度、三田ケ谷公民館の和室で。
毎週金曜日、夜に行っていた。
それと同時に当時行田にあった今はコナミかな?当時はオレンジワンだったかな?レガシーだったかな?何せ昔なんで・・・。そこでもヨガクラスを担当させていただく。
はじめてインカムマイクをつけてヨガクラスを行いました。
震えましたね。緊張しすぎて。支配人にも緊張しすぎだよーと笑われましたっけ。(オレンジワン行田)
その後、勢いづいた私は、片っ端からオーディションを受けまくりました。
ただ、羽生近辺は控えていました。へたくそだったんで・・・
恥ずかしかったから、まずは少し離れたところで修行して、上手くなったら、地元羽生に戻ってこよう。
ベースを羽生に移そうと考えていました。
バリバリの専業フリーヨガインストラクターで、週に15本くらいのクラスを担当しました。
多い日には一日5本のクラスを担当する日もありました。代講は進んで入った。自分の顔を売るために。
駆け出しの新人インストラクター。
ヨガが教えられるだけで幸せだった。
また、スキルを磨きたかったし、経験を積みたかったからちょうど良かったです。
ただ、休みは全然ないですね。
新人に担当させてくれるクラスといえば夜クラスか、土曜日または日曜日。
私としては平日の昼間に働いて夜はゆっくり過ごしたいななんて甘い考えもあったのですが、そんなのは無理だと知りました。
今から20年前くらい。
平日昼間は、どこのスタジオでも古株っぽい主婦のインストラクターがいらっしゃり滅多なことでは辞めないでいてくれるので、結果新人は平日昼間クラスには入れません。
私も、それで我慢しておけばよかったのですが、夜と土日に働いて平日の昼間は仕事がないのですよ。
稼がなきゃってね~
で、あるスポーツクラブのスタッフとして月から金までの9時〜17時でマシンや筋トレなどを指導するスタッフ業務(もちろんこの中にクラブの掃除から受け付け作業、トイレ掃除まで含まれています)を行い、そして土日と夜に各方面のスタジオでクラスを担当させていただきました。
新人だったのでどこでもオーディションに受かったわけでななく、インストラクターの求人広告を見つけると片っ端から受けて、引っかかったらラッキーくらいでしたね。
当たり前でしたけど、新人に持たせたいと思うクラブなんか少ないのは。
ですから、遠いところですと東京の葛飾区亀有リリオスポーツクラブとか、東ですと越谷のセントラルとか、北ですと栃木の佐野のSGCとか、群馬の邑楽町のディーズとか、館林のフレンドとか、南だと東大宮のNASとか北本だとワコーレとか、その他忘れちゃうくらいの、いくつものスタジオを掛け持ちで持たせていただいていました。
毎日の移動距離は半端なかったですね。
でも、それでも、自分の夢であったインストラクターになれたことがとても嬉しかった。
全然休みもない、夜も毎晩遅い、勉強しに行く時間は無くなりました。
自分のクラスを持つことで精いっぱい。だんだんとこなしていく感が出てきた気がします。
それでも、移動中の電車や車の中でCD(当時はカセットテープ)を聞きながらクラスの構成を考え、話す言葉を考え前説なども考え、クラス内容を全てノートに書き、一つ一つのクラスを行っていました。
仕事仕事の毎日。休みはたまたまあるクラブの休館日と年末年始くらいだったかな。
ほんとに新婚なのかといえるほど、毎晩奥さんが夜は遅い(笑)
今考えると辛抱強い主人に感謝である。
結婚しているのだから、もっと仕事を減らしても食べては行けたのだか、私はTTでかかった費用を1年で取り戻そうという若いころにありがちな勘違い野郎で(笑)
突っ走っていたのでした。
続く。
Namaste