今ある幸せに気づくこと。
こんにちは。Noriです。
昨日は東日本大震災から4年の節目の日でしたね。
決して風化させてはいけない出来事。
そして、今でも仮設住宅や、また選択をできない状況の中でとても不自由な暮らしをされている方々がたくさんいらっしゃること、ほんとに心が痛みます。
被災された方々が少しでも早く、より心地よい環境の中で生活ができますように。
傷ついた心、行き場を失った悲しみが、どうか癒えていきますようにと願うばかりです。
4年前の3月11日、14時46分。私は自宅にいました。
娘が風邪をひき学校を休んでいて、今までに感じたことがない大きな揺れを感じ、そして家中が唸るような響きを感じ、恐怖を感じました。
そして、あの時、一瞬ですが、もしかしたら死ぬかもしれないと、そんな思いが心をよぎりました。
近くで寝ていた高熱でパジャマ姿の娘も、あまりの揺れの大きさに怖がっていました。
いかんいかん、私が怖がっている場合ではない。と心を奮い立たせ、娘の上に私は覆いかぶさるようにして、揺れがおさまるまで、待ちました。
あの時の長さといったら、とても長い時間に感じました。
娘に上着を着させ、階段を降り一階へ。
少しすると余震が来る。
まず一番頭に浮かんだこと。
家族は無事か??大丈夫か??ということ。
主人と祖父母の無事を確認する。ほっと息をなでおろす。
息子は??
中学校に通っていた息子、大丈夫だろうか?
すぐさま、車に乗り、中学校へ向かう。
その日に限って、一斉徒歩下校というやつで、いつもは自転車で登校していた息子も、その日は徒歩。
家から少ししたところを歩いていた。
外にいたためか、地震の大きさをあまり感じていない様だった。
車に押し込み、家に連れて帰る。
携帯は繋がらない。テレビも見れない。情報が何もない状態のまま、余震とともに時間だけが過ぎた。
電気も来ない。
夜は真っ暗でした。
でも、家族がみな無事だということだけで、どれだけ安心していられたことだろうか。
翌日、情報が入った。あまりの災害の大きさ、被災された方の多さに驚いた。そして亡くなられた方々のご冥福を祈った。
あの時に気づいた。
命には限りがある。
いつ、急に死ぬかもしれないんだと。
寿命は刻一刻と減っている。
永遠なんかではない。
だから、今ある命を大切に生きよう。
無駄にだらだら過ごすなんてもったいないと考えた。
もしかしたら、明日私は死ぬかもしれない。という思いをいつも心の片隅に抱えている。
一見、マイナスに聞こえるかもしれませんが、そうではなく、そう捉えているからこそ、
目的を持った生き方、そして後悔したくない生き方、やりたいことはやる、思い立ったら即実行をしているんです。
昨日のヨガクラスでも参加者の皆様にお話しました。
9:30女性のためのヨガ、19:00女性のためのヨガ、20:30ハタフローヨガ
各クラスで話したことは、多少は違いますが、でも共通して話したことは
私たちはとても幸せですということ。
普通に食事が食べられて、温かいお布団で寝ることができる。
そしてヨガをしている私たちは恵まれているのです。
すごく幸せなんですよと。
ヨガクラスのラストで行うシャバアーサナの時も、もっと心地よいポジションがあれば自由に動かしてと促しました。
この選択できる幸せ。
そして呼吸を深めましょう、自分の呼吸を意識してというフレーズ。
普段は何気なくしている呼吸。
この呼吸ができることすら感謝したいと思います。
呼吸してなかったら、すでに亡くなっています。
呼吸ができている私たちは、今を生き、そして生かされている。
それだけでも、ありがたく感謝することなのかもしれません。
Namaste