ブルッティ 栗は甘いか?すぐに剥けるか?
先日、親戚から栗をいただきました。Noriです。
親切に茹でて下さってすぐにいただける状態でした。ありがたやー。
さっそく、夕飯のデザートとして栗を出したんですね。
子供たち主人も大喜びです。
旬のものをいただけるって幸せですね。
子供たちが栗をいただくとき、まず
あれ?剥けないって。
そうだよね。固いよね。
と私はすべての栗を半分に包丁でカットしてスプーンですくって食べやすいようにしました。
食べる子供たち・・・
あれ??甘くない。あれれ??サツマイモみたいと。
そうです。
子供たちは栗を食べたのは初めてでした。
甘栗はよく食べていたので、てっきり甘栗だと思ったんですね。
で、すぐに剥けないし、甘すぎないしで???でした。
これはヨガ哲学のブルッティです。
ブルッティというのは作用、考えの形です。
例えば、ヨガマットを見ればヨギー、ヨギーニでしたらヨガマットだとすぐにわかります。
ボルスターを見ればヨギー、ヨギーニはボルスターとわかります。
ですが、ヨガをしたことがない方は、抱き枕とか大きいクッションと思うでしょう。
先日勉強に行ったヨガ哲学でも触れていました。
→ヨガ哲学の勉強、そして反面教師だったこと
ヨガスートラ第1章に書かれております。
チッタ・ブルッティ・ニローダ
『心の作用をを死滅させる』
チッタ=記憶、心、考え
ブルッティ=作用、考えの形
ニローダハ=訳すのは難しいですが、制御、死滅という意味です
Yogaとは心の作用を死滅すること=つまり、心がコントロールされた状態を意味します。
私たちは普段考えの形を見ています(ブルッティ)
ブルッティは一人一人違うこともあります。
真実に自分の考えを上乗せするんですね。
先ほどの栗の話に戻りますが、子供たちは栗と言ったら甘栗しか食べたことがなかった(汗)
ですから、栗というのは甘くて皮が剥きやすい、もしくは皮が剥けているという考えの形、ブルッティだったのです。
よく、例えに使われる話がありますが、
夜道を歩いていた時に、細いロープのようなくねくねしたものがあった。
人はそれを見て蛇だと思うんですね。そして恐れるんですね。
細くてくねくねしているのは蛇だというブルッティがあるんですね。
でも、実はそれはただのロープだった。
ブルッティ=考えの形
私のブルッティは真実かはわからない。
そう、あなたのブルッティも真実とは限らない。
Namaste